付箋紙的諸行無常

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2017年・平成29年 大晦日イヴに寄す

今年ももうすぐ終わり。ご多分に漏れず一年を振り返りたいと思いますが……。

12月15日に祖父が往生しましたので年始のご挨拶を失礼させていただきます

「もってあと一週間」と言われたのが14日昼頃。その半日後の15日午前1時過ぎ (死亡診断時刻。祖母の言によると0時40分頃に心停止したらしい)、我々の心の準備も整わないまま亡くなってしまいました。

身内が言うのもなんなのですが、生き様から死に様まで見事、天晴れとしか言いようがない。偶然とはいえ亡くなるタイミングは誰にも迷惑をかけないようにしたようにさえ思えてきます。

14日の午後はそれはもう慌ただしく車を走らせていたのですが、あの日からずっと、商いのことをもっと聞いたり教わったりしておけば良かったなあと思っています。
が、私が10歳頃と去年の冬頃に、変えてはいけない (ような) ことは教わることができてよかったです。(というか、10歳の小学生に向かって懇々と商いのことを説くってすごいよなぁ。)

初七日を過ぎ、二七日を過ぎ、七日七日と数えていくうちにあっという間に四十九日、一周忌、と時間が過ぎていくんだろうなぁ。

周りの方々からは「四十九日過ぎたらドッと疲れが出るから気を付けて」と言われていますが、葬儀等々を終えた初七日の頃からドドドッときてる気はします。先週末はほとんど寝ていたんじゃないだろうか? それから日中に動悸が出るのもメンタル面からの影響では、とドクター&薬剤師の言。「一年間くらいはどんな症状が出ても不思議じゃないから気を付けて」と言われちまいました。

そんな状況なので趣味とか気分転換とかも、どうだかなあ。

Facebookの書道Groupは「14日からしばらくお休みします」と (祖父が亡くなる前日あたりに) 自分のTLに書いたのですが、それからずっとお休みしています。
初七日を終えた後にちょいと臨書、と筆を持ってみましたが、やっぱり前のように書けませんですね。書きながら私情雑念がよぎる。

吹奏楽団も椎間板ヘルニアの症状が落ち着いたら練習場へ、と思っていましたがやっぱりなかなか難しい。

というわけで、年末年始はゆっくり休ませていただくことにします。


書道を再開しました

札幌にいた頃、(一社)倫理研究所の家庭倫理の会札幌市にお世話になっていましたが、そこの文化活動のひとつで行なわれている「秋津書道会」に今年1月に入会しました。
遠隔地に住んでいますので、競書は札幌の会員の方へ、添削は本部へ直接送付して対応中。ちょうど一般部行書篇を今月終えました。書道はいいですよ。手本の字を見るうちに、他の物の見方も少しずつ変わってきます。

短歌を始めました

書道を8月に添削して下さったK氏から、同じく倫理研究所の文化活動として行なわれている「しきなみ短歌会もおすすめいたします」とおすすめされ、10月に入会しました。
短歌はいいですよ。ありとあらゆる自然の物の見方が少しずつ変わっていきます。

吹奏楽を再開しました

大学の途中まで一般バンドで演っていましたが忙しくなって辞め、それからは年に一度母校中学の定演に4, 5曲だけ載っていましたが、去年から間接的に、或いは直接的に、打楽器の人ではなくクラリネットの方々から勧誘を受け(笑)、今冬から再開しました。

いずれの趣味にしても、生活の中にうまく取り入れていきたいですねー。短歌はいつでもどこでもできるし、書道は30分もあればなんとかなるので良いのですが、問題は音楽だなぁ。

応用情報技術者試験に合格しました

先日Blogに書きましたので割愛いたします(ノ∀`)


と、仕事以外のことを振り返ってみましたが、何か始めたり再開したりの一年でした。幸いにも、FBの書道Groupやら、ストレス発散代わりに始めた某Karakoke App.やら、さまざまに新たな出会いもあり、感謝感謝です。

来年は続いていることや始めたことを長く長く継続することができれば、と思っています。

どうか来年も変わらぬお付き合いをお願いいたします。

応用情報技術者試験 合格しました@平成29年秋期

はじめに

遡ること6年前、2011年秋期試験で基本情報技術者試験に合格し、その後の2012年春期試験から応用情報技術者試験を受けたり、調子こいてDBスペシャリスト試験を受けて玉砕したりを繰り返し、ようやく今回、平成29年度(2017年度)秋期の応用情報技術者試験に合格しましたのでその記録を記しておきたいと思います。

使用した教材

勉強方法

 

  • 午前試験:
    過去問過去問過去問過去問過k って何度解いたかわかりません。
    問題文・選択肢・解法・解答をすべてノートに書き写した問題もありましたし、試験開始直前まで「ドットコム」を解いたりもしていました。まぁ暗記かな、くらいには思っていたのですが、直前に解いた過去問のなかから類似問題も含めて5問くらい本試験に出たのはラッキーでした。
    問題冊子をバーーーッっと捲っていきながら、暗記している(問題文や選択肢を見ただけでどれが正解かわかる)問題から潰していったのは正解でした。
  • 午後試験:
    最近の文系問題難化の傾向や、これまで文系問題ばかり選んで玉砕してきたこともあって、テクノロジ系を多く選択。組み込みシステムなんかは割と解きやすかったです。(学生時代はDB専攻だったのですが、現場から離れるとすっかり忘れてしまうようで、今回は捨てました。)
    各種予備校や直前に出たIPA公式解答で自己採点をしたところ58~63点くらいだったのですが、成績照会をしましたら68点でした。何を以て得点とするかはわかりませんが、ともかく解へ至るまでの過程のどこかが合っていれば得点にはなるような気がします。

感想

やっと…! というのが素直な感想です。本当に長かった。途中に "寄り道" があったとはいえ5年もかかるとは思いませんでした。その割には燃え尽き症候群にもならず、メンタルも崩さず、腰はヘルニアになりましたが、懲りずに次はDB受けたいなぁとか思ってテキスト注文しちゃいました。

ちなみに今回も札幌で受験として申し込んだのですが、北海道科○大学というトンデモナイ場所を指定されたので(これまでだいたい北大だったので予想外だった)、今度からは道北の果てからは札幌よりは近い旭川で受験しようかと思っております、へっへっへ。帰りのバスの発車10分前にターミナルに着くことになるなんて思わなかったです、ほんと。

そういえば今年の誕生日に挙げた目標のうちひとつはクリアすることができて、ひとまずホッとしています。

  1. 応用情報技術者試験を7度目*3の正直で合格する (試験日: 10月15日*4 )

成績

  • 午前得点 73.75点
    (ストラテジ系 18.75点(75.0%)、マネジメント系 11.25点(90.0%)、テクノロジ系 43.75点(70.0%))
  • 午後得点 68.00点
    (問1 情報セキュリティ、問4 システムアーキテクチャ、問7 組込みシステム開発、問9 プロジェクトマネジメント、問11 システム監査)

障害者支援とは何なのか

グループホーム、施設なんて大嫌いだ』と、障害者を対象にしたそれらについて、T氏がFacebookで書いていた。入所・利用へ至る経緯は人それぞれであり、また発病・発症等の背景、そして家庭の事情まで人それぞれであるから、この問題について一概にこうだと主張する気にはあまりなれない。

コメントを覗くと自称元NPO法人理事長という人が、入居者のことを単に「利用者」と呼んだり、「それが嫌なら一人で生きろ」「他を探せ」「うちでは自分で掃除させている」等々と書かれていることに強い憤りを感ぜざるを得なかった。

障害者福祉の現場から遠く離れて一年以上が経ってしまっても、こういった話題はどうしても気にかかるのだ。

答えのない話しをしなければいけない。支援とは何なのか。思うに、それは合わせることから始まるのではないか。北杜夫『どくとるマンボウ医局記』の山梨県立精神病院のくだりで、患者と一緒に病室で寝転んでみて、様々な思いを抱いたドクトル北杜夫のことが書かれている。結局、目線を、視線を、行いを、合わせて見えるものがあり、けれども、それでもわからないものだってあるのだ。

果たして支援とは何なのか。考える「始まり」や「きっかけ」はあるが、それに終わりはなく答えもない気がするのだが如何か。

哀しいかな、障害者福祉業界は誰でも「専門家」になれてしまう。私は就労支援の現場にいたが、スタッフになれば生活支援員とか職業指導員とかの職名つく。そういう事業所である以上、そういったスタッフを置かねばならず、厚労省もこれについては「経験不問、関係する実務経験があれば望ましい」という趣旨の文書を出していたと記憶している。(ただ、多くの施設が社会福祉主事任用資格か三福祉士所持者を採用条件にしている現実はある。)

件の自称元理事長氏は「基本的に障害者は責任能力ない」と言う。きっと後見人制度と医療観察法とをごちゃ混ぜに捉えていると思う、否、そう思いたい。「奉仕は興味がない。個人的に障害者の奴隷にはなりたくない」という人が施設を運営していたという現実がある。そこまで言われると先の発言への妙な整合性があるから恐ろしい。

答えのない道を歩まなければならない。人それぞれの事情と背景があり、それは利用者も支援者も当てはまる。けれども、支援者は、藁をもすがる思いでここへやってきた人々のことを、その人々の未来を思い、人々の命を預かるくらいの気持ちで支援していかなければいけないと思うのだが、どうだろうか。