付箋紙的諸行無常

だいたいノンフィクションです

先月の購書 (2017年6月)

ローソン JCHO北海道病院店

見舞いに行ったついでに行ったら目に入ってつい。

ブックネットワン 稚内

それから久し振りにJTB時刻表を買いました、と思ったらたった3か月振りだったわちくせう。

Chromebookがやってきた

「ノートPC欲しいなあ」と思っていたのですが、さほどお金もかけられず、かといってショッピングローンや分割払いは払っているときの気分があまりよくないのでしたくなく、じゃあどうしようってんで数年前にちょっと話題になったChrome bookとやらはどうよ?

ということでAmazonを覗いたりウェッブログで評判を見ていると、サブマシンとしては問題ないようで、だいたいのものはWebで賄えるので(ワープロ表計算、プレゼンはGoogleにある、いざとなったらOffice Onlineもある、テキストエディタGoogle storeにあるし、ちょっとしたコーディングできるアプリもある)これは良いかも、と思って「どれどれちょっと」とヤフオクで検索してしまったのが運のつき、数十分で終了時間というマシンに札を入れたところそのまま落札となってしまい、かくしてヒューレット・パッカード社製 Chromebook 11 G3というマシンが私のもとに来ることになったのでした。

ちなみにスペックは;

  • Celeron 2.16 (2.41GHz)
  • RAM 4GB
  • SSD (eMMC) 16GB
  • 11.6型ワイド液晶
  • あとI/Oはお決まりのとおり。

というかんじ。

で、本日お迎えした次第です。

蓋を開けた瞬間、あっという間に起動して(いろいろな方が書いていますが、ほんと、ものの数秒)さっそく度肝を抜かれました。GoogleのID/PWでログインを求められ、するとChromeなんかは自動に連携してくれて、ということはアプリまで他マシンで設定したChromeのアプリがそのまま同期されていて、……いや要するにあっという間に起動、同期、って進んでいくのでマジ速い、うん、速い。シンプルって良いわ。最近はやりのミニマリストになった気分だわ。

ちなみに今試したところだと、YouTube見ながらブラウジングしたりカチャカチャしたりできますし、radikoも問題なく動作しますし、余談ですがいつもお世話になっているDMM見放題ライトの閲覧も問題ございません(なぜか敬語)。

ご多分にもれずChrome bookからこの記事を書いていますが、キーボードの打鍵もまったく問題ありません。一昔前のhpのmininoteなんて比較になりませんぜ、打鍵が。ほどよいカチャカチャ感で大変快適です。

IMEGoogleのそれを使っているので、狂ったような変換もされないのでストレスありません。強いていうならF7カタカナとかF10eisuujiを多用していたのでそのあたりチョット困っています。まぁそのうち慣れるでしょう。

それから打っていて気になったのが、BackspaceキーはあるのですがDeleteキーが見当たらない。どこにあるんだろ、もしくはないんだろう。

とまぁ長々と1,000字以上長々と書いたのですが、Delキー以外たいへん満足しております! 良い買い物しました。

『仏さまのお弟子になる』を読んだ

藤井善隆 著『仏さまのお弟子になる ―帰敬式を受けて始まる歩み―』(伝道ブックス 79、東本願寺出版 (真宗大谷派宗務所出版部)、2017) を読んだ。

……と書いていることからお察しのとおり、あるいは公言しているとおり、門徒なのです。

帰敬式を受ける予定なんぞはないのですが (いずれ時機がきたら受けるのだろうけれど)、ちょっと気になって読んでみました。小冊子のような形状なのですが、ISBNも振られています。念のため。

お話しは「三帰依文」の『人身受け難し……』のところから始まり、縁のこと (因縁・宿縁・縁起)、三悪趣 (地獄・餓鬼・畜生)、六道のこと、外道のこと、お正信偈からは『一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願』について、等々。

以下、個人的に気になった・気に入った・しっくりきた文言を挙げてみます。

  • 我々は生まれた時は、生と死とを一つにしてオギャーオギャーと純粋に素直に命そのものを生きてきておりました。それこそ無限の命の大きな世界の中、親の懐に抱かれて、ありのままの与えられた命を、文句も不足も言わずに受け入れていきていたはずです。
  • この「私」を中心にしますと、必ず他と対立します。
  • 人生は外道という道に立ったらぐるぐる回るだけです。……都合の良いほうが方向になるので、結局は身の安んずるところがどこにもない。
  • 実は我々、みんなこの環状線 (※外道に立ちぐるぐる回るので大阪の「環状線」に譬えている) に乗っているのです。乗っていない人は一人もおりません。
  • 我々は縁が整ったらどんなことでも行い、どんな目にも遭わなければならない
  • 如来の世界を、我々に見える姿で表してくださったのが、まさに、「三帰依文」にある仏・法・僧なのです。

昔私が相当病んでいたときに、『人身受け難し、いますでに受く。』のその一文に、妙にホッとしたというか、なんというか、そんな感情を抱いたことを覚えています。まだ、お寺の前住さんが生きていらっしゃった頃ですから、たぶん10年くらい前だと思います。

三帰依文』を以下に示します。為念。

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。

無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。